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NO MUSIC FIGHTER

ライブレポ90% CDレビュー10%

戦争に負けてトロイメライの妄想を埋葬しました。

プラツリ夏の20周年樹念アルバムリクエスト戦争が終了しました。

前期は『Puppet Show』、後期は『ネガとポジ』です。わたしが推していたのは前期は『トロイメライ』か『cell.』、後期は『ウツセミ』か『ドナドナ』か『アンモナイト』だったので、完膚なきまでに1mmも掠らない結果となりました。
びっくりするような結果ではないし、当然といえる結末ではあるけれど、それでもかなしいです。かなしい。

『Puppet Show』と『ネガとポジ』というアルバムは、Plastic Treeというバンドにおける軸というか、根というか、王道というか、とにかくそういう最大公約数的な要素を持ち、かつアルバムとしての完成度が高い2枚なので、この結果はごくごく当然のものだとは思うんです。Plastic Treeのアルバムから好きなものを2枚選んでと言われたらこの2枚を選ぶ人はかなり多いと思うし。だから意外だとか納得いかないとか、そんなことは全然なくって。デビュー20周年という記念すべき節目で演奏されるに相応しいアルバムが選ばれたとすら思うし。

それでもわたしは『トロイメライ』と『ウツセミ』が聴きたかった。

色々と細かいことは以前のエントリに書きましたが、わたしは『Puppet Show』が好きではあるけれど、追懐とか再現とか銘打ってやってほしいとは思っていませんでした。聴きたくないとすら思っていたし、それは今でもそう。「鬼気迫る緊張感があって怖いから聴きたくない」とかじゃなくて、「あの頃の完璧な形を今の演奏で汚してほしくない」とかでもなくて、「今のプラがパペショを追懐あるいは完全再現という形で演奏することに意義が感じられない」と思っているから。『Puppet Show』というアルバムの特殊性というか、制作背景というか、怨念というか、そういうものに起因する感情だと思うのだけれど、あのアルバムはあのアルバムとして時間も含めて完全に独立していて、他の時間においてなにをどうしようともどうにもならないものだと思ってる。その「干渉できなさ」は完璧であるがゆえではなく未熟さも含めての独立性だと思うし、だから今のプラツリの円熟した技術や表現力を最大限に活かして演奏されるパペショの曲たちは本当に素晴らしいとは思うけれど『Puppet Show』というアルバムの本質的な部分はむしろ損なわれる気がする。そしてそれは現在の彼らが長い時間をかけて築き上げてきた素晴らしいものの価値を軽んじることのような気もするし、だからするべきではないと思ってる。努力に努力を重ねて素晴らしい技術を培ってきた人に、幼児の頃に絶賛されて賞を冠された絵を模写しろと言っているような気さえする。いや、この言い方だと正確性に欠けるのかな、過去の彼らあるいは現在の彼らをバカにしているような表現になるんだろうか。どう書けば正しいのかがわからない。なんというか、今の彼らはあの頃の彼らの地続きであって本質的な部分は未だに変化していないと思っていて、でも、それでも、だからこそ、変わっていない本質の荒かった部分を荒かったままに演奏する必要はないと思うし、荒かったままに演奏せずに現在の形に落とし込んでやるのであればそれは『Puppet Show』ではないような気もするし、なんだろう、うまく言えないのだけれど、現在の彼らも過去の彼らも最大限に尊重してかつ彼らの本質が推移していないことを認識した上で、いま『Puppet Show』をやってほしい、という気持ちにはぜんぜんならないんだよ。

まあ、単純に、わたしが一番好きなアルバムが『トロイメライ』だから、っていうのが一番大きいのかもしれないけどね。自分のその感情を正当化するために後付けでごちゃごちゃパペショじゃない方がいいなみたいな理由付けを行なっているのかも。そんなことを考えると自分に対してもうんざりするし、すごくむなしいなあ。言葉を重ねても自分が感じていることを正確に描写できる気がまったくしなくて、正確に言おうとすればするほど無駄だなあっていう気持ちになる。大きな言葉ほどその範囲内に自己の意図が含まれる確率は上がるから、単純に表現した方が的確ではあるのかもしれない。『トロイメライ』、聴きたかった。今の音で『トロイメライ』というアルバムを聴きたかった。再現じゃなくていいんだ。むしろ再現じゃない方がいいんだ。ただただ今の音であの曲たちを丸ごと演奏してくれる、それだけでよかった。

そして『ネガとポジ』。こっちは『Puppet Show』と『トロイメライ』ほど複雑な感情は全然なくって、単純にこのアルバムわたし好きじゃないんだよなー。アルバムとしての完成度は高いと思うし、評価されている理由もわかるし、聴き返すと「よくできたアルバムだなあ」と思う。思うんだけど、ほんと単純に、好きじゃない。発売当初から好きじゃなかったし、今までも一度も「ああ好き」って思ったことがないアルバムなんだよね。出来がいいなあとは思うんだけど。これは『echo』や『剥製』に対する感情とかなり近いです。評価されていること自体には納得がいくし、評価されている理由はわかるし、完成度は高いと思うんだけど、好みじゃない。で、何が好みじゃないのかもちゃんと説明できる。そのうち『ネガとポジ』のエントリも書くと思うから、細かいことはそっちに書くけど。
対して、後期で一番聴きたかった『ウツセミ』は、未だに全貌を掴めていないし、よくわからないままでいる。トラウマもあるし、思い入れも強い。1枚の絵としての完成度は『ネガとポジ』と比較したら格段に下がると思うのだけれど、その「完成しきれない」「全貌を掴みきれない」「茫洋として漠然としている」という部分こそ、『ウツセミ』というアルバムの本質だとも思う。未だに「これはこういうアルバムです」と言い切れないアルバムのひとつで、だからこそ、今の音からあの頃とは違う姿を見つけたかった。今の音という形で提示される解答の断片を、少しでもいいから見たかった。今の彼らが描く『ウツセミ』という絵を見たかった。きっとあの頃とは、全然違う絵になっているはずだから。完結しきれないアルバムだからこそ。

佐藤さんのドラムで、最初から最後までぶっ通しで聴きたかった。

ネガポジはさ、今の音でやっても、本質的にはあの頃と同じ絵だと思うんだよね。完結しちゃってるもの、あのアルバム。そしてその絵は美しいしよく出来ていると思うし絵の形が同じだからこそ今の音を存分に楽しむこともできると思うけれど、それ以上のものは得られないと思ってる。とりあえず、当日の演奏に期待しています。後期はもう、それしかないかな。瞬間的なカタルシスに期待するしかない。
完全再現なんかしなくてもいいよ。あなたがいる今のプラの音が好きなんだよ。あなたの音であなたが思うように叩いてくれたら、それだけでいい。再現なんて、模倣なんてしなくたっていいんだ。

ごちゃごちゃバカみたいな文章を打ちながら、ぼんやりとかなしくてなんとなく泣いてる。『トロイメライ』は、これまでの追懐のルールに則るなら、今年が追懐の年なんだよ。だから夏以降に追懐あるいは追懐と銘打たないでも演奏する機会が設けられないなら、機を逸してもう二度とアルバムとして聴くことはできないのかもしれない。
びっくりする発表ではなかったから、びっくりしてはいないし、意外だとも思っていないし、ああやっぱりなとすら思っている。やっぱりそうなるよね。でもそれでもかなしい。当日になったら楽しみに開演を待てるようになるのかな、よくわかんないな、自信ないな、そう思うくらいかなしい。バカみたいだけど。
アルバムが発表された映像を見ながら、中山さんの「みなさんがアルバムを決めてくれた」という言葉を聞きながら、決まったアルバム2枚のいずれにも1票も入れなかったわたしは「みなさん」の内に含まれないんだろうなあ、なんて我ながら言いがかりに近い面倒くさいことを考えてボヤボヤ泣いています。そういう意味じゃないのはわかっているんですよ。それでもかなしい。そのうちおさまるのかな、でも今は、ギャンギャン叫ぶ力もなくって、ただただかなしいよ。負けたんだなあ。記念すべき夏に大きな会場で『トロイメライ』を聴くことは、もう永遠にできない。

かなしいよ。

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のりたろう閣下<愚民どもめ、貴様らが求めたものは永遠に失われたのだ!

追懐公演やアルバムのこと

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