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ライブレポ90% CDレビュー10%

Plastic Tree|4th アルバム「トロイメライ」(2002)感想

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Plastic Tree 通算4枚目にして、ササブチ期 1枚目のアルバム。

Plastic Treeが「枯れない木」として活動し続けるための、音楽的な基盤を創り上げた作品だと感じています。ファンからの評価も高い1枚であり、わたしにとっては最愛のアルバム。

Takashi時代に出された『Hide and Seek』『Puppet Show』『Parade』の3枚とは顕著に音作りの傾向が異なり、Plastic Treeが迎えた最初の転換期の作品だと言えるでしょう。一曲目の「理科室」からギターの轟音が印象的で、全編を通じて過去作よりも圧倒的にギターの音量が大きくなっています。以前の作品と比べて湿度が低いと感じる部分が多く、全体的にソリッドな仕上がり。彩度の低い、金属的で硬質な世界観です。

このアルバムからナカヤマさんが積極的に作曲に参加し始め、楽曲の幅が大きく広がると同時に、現在の「全員が作詞作曲を行う」という制作体制の基盤が確立されます。また、M-10「プラットホーム」には、ナカヤマさんがサポート参加しているCOALTAR OF THE DEEPERSNARASAKIさんがプロデュースで入るなど、「メンバーのバンド外の活動がバンドに還元される」という循環もここが起点となっています。

わたしにとって、『Puppet Show』が歌詞の世界に引きずり込まれたアルバムだとすれば、『トロイメライ』は音の世界に引きずり込まれたアルバムです。『トロイメライ』がなかったら、たぶん私は、20代になってしばらくしたらPlastic Treeを聴かなくなっていたでしょう。
今に至るまで連綿と続く、多彩で多層的なサウンドの基盤を作ったアルバムであり、「音楽を聴くこと」の喜びを改めて教えてくれたアルバムでもあります。

メンバーの脱退と加入、そして制作体制の変化に伴うように、このアルバムからメンバー全員がフルネーム表記に変わっています。ここで定まった表記は、それ以降現在(2017年)に至るまで変わっていません。

粗削りながら凝ったアレンジが随所で光る、長く聴き続けられる傑作です。

アルバム詳細

発売日:2002/9/21
発売元:ATMARK CORPORATION
プロデュース:西脇辰弥(M-11, M-12)NARASAKI(M-10)

発売状況:絶版

収録曲

  1. 理科室
  2. グライダー
  3. 蒼い鳥
  4. 散リユク僕ラ
  5. ペットショップ
  6. 懺悔は浴室で
  7. 赤い靴
  8. ガーベラ
  9. 千葉市若葉区、6時30分。
  10. プラットホーム
  11. Hello
  12. 雨ニ唄エバ

楽曲の感想

1.理科室
  • 作曲:長谷川正
  • 作詞:有村竜太朗

金属的でざらついた質感のカッティングから始まる、ドライな印象の楽曲。
この最初の一音、冷たく乾燥した空気をナイフで切り裂くような一音が、アルバム全体の印象を決定づけているように感じます。

ミドルテンポのシンプルなギターロックで、技巧的なアレンジが多かった前作『Parade』と比較すると、かなり装飾が削ぎ落されたように感じられます。シンプルな分、ライブで演奏されると、その時その時のバンドのグルーヴをダイレクトに味わうことができます。

ベースとギターが同じ動きをしている部分が多く、その分ドラムの音色がストレートに伝わってくる。特にベースレスとなる部分はその傾向が顕著です。金属を叩いているような乾燥したスネアや歌うようなタム、全体的に主張が激しくてラウドなササブチの音がくっきりと聴こえて、バンドの変化を浮き彫りにしています。
ここまで明確に「ドラムが違う」ということがわかる曲をアルバムの冒頭に持ってきたことに、当時の彼らの気迫や気概を感じます。リリース当時のPlastic Treeにとっては、サウンドにおける名刺のような一曲だったのではないでしょうか。

また、この曲では、サウンドだけでなく歌詞における変化も印象的です。

「理科室」という単語が示す通り、この詩の主体は学校の理科室、つまり現実に存在する場所にいます。『Puppet Show』のエントリで書きましたが、トロイメライ以前のRyutaroの歌詞は心象風景の描写が多く、幻想的で現実感がありませんでした。

・くらくらと僕の頭 部屋の中で跳ね続ける/閉じた窓 倒れた椅子/おかしな僕を嘲笑う(クリーム・1995)
・やぶけたぬいぐるみがいきなりしゃべりだす/「ほんとうのきみのことをおしえてあげる」って(ねじまきノイローゼ・1997)
・空想の犬連れて、枯れた草に座って君とずっとはなしてた/大きい風が吹いたら、さっきノートにつづった言葉が流れた(幻燈機械・1998)
・不安を綴ってた夢のくずを羊が食べた/くるった形の誰かが手を振った(トレモロ・1999)

他者や自分が明確な形を示さず、不定形のシンボルや現実には存在し得ない情景が数多く登場する世界。この夢想的な部分が初期Plastic Treeの大きな特徴であり魅力のひとつでもありましたが、『トロイメライ』ではこういった描写が鳴りを潜め、現実の世界が描かれ始めます。

理科室で外を眺めてた。グラウンドは誰もいないや。
僕はただ火をつける真似。灰にする、そっと全部―――。

「理科室」の冒頭部分は、「校舎からグラウンドを眺める」という現実に存在する情景です。自己や他者が曖昧な夢想的空間ではなく、実在の情景。

Plastic Treeのアルバムを全部並べて眺めてみると、まるで人の一生のように感じられる変化が見えるのですが、その中でも『トロイメライ』は「幼年期から少年期への移行」「自我の確立」を感じさせる作品です。

そして、そして、ボンヤリ思うのはいちばん遠いところ。
それはきっと、
多分きっと、君の心―――。

わかりあう事が愛だって聞いた。それが本当ならみんなひとりぼっち。
ずっと、ずっと。

「理科室」に出てくる「君」は、曖昧で不定形な存在ではありません。明確に存在する「自分ではないあなた」、確固たる他者です。
トロイメライ』以前の歌詞では自己という存在の境界すら曖昧な部分がありましたが、このアルバムではそういった不安定さは消失しています。世界と自分は明確に分化されており、それに拠って他者の存在も確立したように感じられます。

トロイメライ』全体から強く感じるのは、少年的な頑なさ、外界への期待と不信、理解への渇望。このアルバムを聴くたびに、ローティーンの頃の小さく繊細な、孤独で完璧な世界を無理やり引きずり出される気がして、とても苦しい。

こんな僕を燃やすだけの火をください。

楽曲の最後、祈るように歌われるこのフレーズでノックアウトされた人も多いんじゃないかなあ。わたしはそうだったよ。

ナカヤマさんが歌詞を書くようになってからは少し変わってきますが、それまでは基本的に、Plastic Treeの歌詞はやるせなさや焦燥、怒りといった感情が、攻撃性として外に向かうことがありませんでした。外を責めるのではなく、ひたすら孤立して内に向かう言葉が10代の自分に寄り添ってくれた、という人も多いのではないでしょうか。

消えるように歌が終わると、後を追うように全ての音が同時に途切れます。ぶつ切りのような終わり方も相まって、強く感情を揺さぶられる。

これからもずっと大切にしていくであろう、宝物のような楽曲です。

2.グライダー

イントロのヘヴィな高速カッティングが印象的。
歌が入ると導入のヘヴィさは鳴りを潜めて、軽やかでキラキラした音色に変わります。ヘヴィさからも煌めきからも、想起されるのは鋭く自由に宙を滑空するグライダー。疾走感と荒々しさと軽やかさが、1曲の中に矛盾なく共存している楽曲です。

トロイメライ』に5曲含まれているアキラ曲の内のひとつ。『Parade』以前に彼がクレジットされていた楽曲は「エンゼルフィッシュ(1999)」と「bloom(1999)」の2曲だけだったことを考えると、破竹と言っていい勢いで曲を出し始めたことがわかります。

この曲はもうとにかくギターがカッコいいので、ぜひ耳を澄まして聴きまくってほしい。
アキラ海月同士で話しているとたびたび挙げられる大サビの16分で刻んでいるリフもいいし、Aメロの左右それぞれのフレーズや1Aと2Aの差異を聴き比べてにやつくのも楽しいし、サビのサイダーの泡みたいに透明感のある音色にうっとりするのも素敵だし。最高。

もちろん、ドラムとベースもカッコイイ。この曲は基本的に、どのパートを聴いてもどれも大変うるさくて最高。
M-1「理科室」が装飾を削ぎ落して作られているのに対して、M-2「グライダー」は過剰とも言えるほどの音が詰め込まれています。大サビでギターが増えていくところなんか、もう笑っちゃうくらい。
でも、個別の音を聴こうとして耳を澄まさなければ、それらの過剰なはずのフレーズたちは、まとまったひとつの音として聞こえます。バラバラになりかねないほど多くの要素をひとつの楽曲として成立させきる手腕には惚れ惚れしてしまう。重ねて重ねて楽曲を創り上げる、音のおもちゃ箱みたいなところは、Plastic Treeの大好きな部分です。

歌詞の面では、「理科室」同様、カルピス” “自転車” “携帯” といった現実的なモチーフが散見されます。自転車は「リセット(『Puppet Show』収録・1998)」でも使われているモチーフですが、「リセット」で “友達のネズミを連れ”て自転車が走っている場所が 腐乱してるバナナの束 ドロドロの液体の下/焼け焦げたセルロイドの人形がつぶれてる” といった悪い夢みたいな情景(竜太朗が実際に経験した情景だそうですが。笑)であるのに対して、「グライダー」の自転車が走るのは止まった噴水のある日常的な風景です。

正午を少し過ぎた、暑い午後。
「カルピスが飲みたいな。」焦がれる僕を乗せて、
自転車はカラカラと走ってく。
夏が消えかけてる、止まってる噴水を回ったら
ヒンヤリ気持ち良くて、ないはずの水滴を数えてた。
誰かと話したいな。キズいたらキズついていくって事。
携帯は電池切れだぁ。
あきらめて踏み込んで、ディレイかけた。

この時期のプラにしては珍しく、さわやかな歌詞が印象的。
夏の正午過ぎに、カルピスを飲みながらぼんやり聴くのがおすすめ。きれいで遠い、賑やかな白昼夢のような楽曲です。

3.蒼い鳥
  • 作詞作曲:有村竜太朗

2002/6/26 発売の11stシングル『蒼い鳥』表題曲。

『蒼い鳥』は、Takashi脱退からササブチ加入までの3人体制時にリリースされたシングルです。また、有村さんの楽曲が初めて表題曲となったシングルでもあります。今でもライブでたびたび演奏される、Plastic Tree代表曲のひとつ。

シングルではササブチがドラムを叩いていないので、『トロイメライ』収録ver.ではドラムが差し替えられています。イントロのアコギとか、ギターもいくつか差し変わっている気がするのですが、ミックスの問題かな?
シングルはいい意味でおもちゃのように軽いサウンドで儚い印象が強かったのですが、アルバム版はバンド感のあるやわらかいサウンド。どちらも好きですが、よく聴くのはアルバムver.かな。でもシングルver.もいいよ。

個人的に、竜太朗曲の中でも特に好きな楽曲のひとつです。
ボーカリストの曲らしく綺麗で切ないメロディーラインが印象的。アコギとシンセ、遠く聴こえるエディットされた話し声や息遣いが絡み合って、言葉のわからない外国の、美しい映画を見ているような気持ちになる。そういった儚さを感じさせるABメロから、サビで一気にバンドサウンドになって、ひかりがきらきら零れるような音になるところが好き。
間奏ではディストーションギターが「汚い」と感じるギリギリのラインで鳴っていて、だからこそ大サビの透明感が際立つように感じられます。有村さんの歌も含めて、緩急の付け方が綺麗な楽曲。

あと、この曲は淡い色彩のPVが素晴らしいです。

これは趣味の問題ですが、わたしはプラのPVやMVに魅力を感じることが少なくて。でも「蒼い鳥」は、数少ないPVも好きな楽曲のひとつです。
繊細な色づかいやサーカス的な衣装や小道具、刹那的で儚い狂乱の情景が美しくて、大好き。

黒髪の正くんが見られるという点でも、かなり貴重なPVかな〜と思います。

4.散リユク僕ラ

2001/11/14 発売の10thシングル『散リユク僕ラ』表題曲。

『散リユク僕ラ』はTakashi在籍時最後のシングルであり、ワーナーミュージックからリリースされた最後のシングルでもあります。そして初のアキラ曲シングル。今のところ、ナカヤマさんの曲が表題曲になっているシングルは『散リユク僕ラ』と『Ghost』の2つのみです。

シングル版とアルバム版では、キーもテンポも違います。アルバム版の方がキーが高くて、テンポがやや遅い。
シングルテイクの方が良くも悪くも泥くさく荒っぽい雰囲気があり、楽曲が持つマイナスの感情が率直に伝わってくるように感じます。一方アルバムアレンジは、キーが高くなっている+テンポが遅くなっていることもあり、『トロイメライ』というアルバム全体に通じる硬質さや透明感が感じられます。また、楽曲内における音の起伏が明確になっていて、サウンドにメリハリがあって飽きが来ません。個人的にはアルバム版の方が好きですが、歌詞の内容やタイトルから考えるとシングル版の方が素直な音なのかな。

わたしは『cell.』あたりからのファンなので当時のことはわかりませんが、この時期の出来事を時系列で整理してみると、「ベストアルバムとこのタイトルのシングルが同時に発売される」→「その2日後にTakashi脱退が発表される」という流れになります。胸を抉られる流れだよね、これ……。
古参の人たちがよく「散リ僕は辛い」と言っている印象がありますが、確かにこの流れを経験していたらそうなりそう。

個人的にはそういったトラウマがないので、ごく普通に「ヘヴィでキャッチーな初アキラ曲シングル」としてよく聴いています。轟音と静謐の対比が美しくて、気持ちのいい曲です。

歌詞では、『Puppet Show』収録の「本当の嘘」で描かれた冬の遊園地の情景が再度描かれています。

冬の日。 遊園地。君とふたり。
泣き出す子。 観覧車。傾いた日差し。
花咲いた、 花裂いた、
その瞬間ほら、
このまま散リユク僕ラ。

引用部分の歌詞は大サビ前の部分で、この後にもう一度サビが歌われるのですが、歌詞では繰り返し部分が記載されずに「散リユク僕ラ。」という救いのない言葉で幕が閉じられます。この構造が歌詞の主軸を象徴しているように感じられる。
ちなみにこの部分、アルバムアレンジだと、皮膚を切る冷たい風と寂しい遊園地の情景が目に浮かぶようなギターの音色が素晴らしいので、ぜひ聴いてほしいです。

ライブではそう頻繁に演奏されませんが、ごくまれにセットリストに入ることがあります。「いつもそうだろ」と言われればそれまでですが、この曲はいつもにも増してナカヤマさんをじっと見ちゃう。めちゃくちゃカッコいいです。

5.ペットショップ
  • 作曲:長谷川正
  • 作詞:有村竜太朗

割れるようにザラついたギターの音から始まる、ノイジーでダウナーな楽曲。
スロウなテンポと凶暴でザラついたベースのサウンド、アナーキーな歌詞とが相まって、プラの楽曲の中でも独特の存在感を持っている曲です。そしてちっともライブでやってくれない曲でもあります。

疾走感のある「散リユク僕ラ」の後なので、余計にテンポが遅く感じられます。それがまたダウナーさに拍車をかけて、聴いているだけで眩暈が起きそう。Aメロでは金属的なドラムやノイジーな弦楽器の音が不安を煽りますが、サビでは浮遊感のあるシンセサイザー(たぶん。中山さんはすぐにギターでシンセっぽいことをしだすので、あんまり自信はないです)の音に包み込まれて、酩酊するような感覚に陥ります。

サウンド同様、この曲は歌詞も独特。出だしから “死にたがりのハムスターがペットショップで回ってる。/ねばりつく熱帯魚の感覚。” という閉塞感。「ペットショップ」という言葉からここまで陰鬱な情景が描写されることも珍しい気がします。

全部、バクテリアの世界。
本当は僕らのものじゃない。
だから何も感じないや、別に。別に。別に。

サビで繰り返される “別に。別に。別に。” という言葉も含めて、楽曲全体を通して投げやりな気怠さが感じられます。「散リユク僕ラ」で描かれたのが透徹とした冷たい遊園地の情景だったのに対して、「ペットショップ」から感じるのは、眩暈がするほど不快な熱と噎せ返ほど動物的なにおい。イントロやAメロとサビとで音的な対比が作られている、という構造は2曲とも似ているのですが、質感が全く違うので、なんだかザワザワする。騙し絵の中に放り込まれたような気分になります。

電線の上、綱わたり。合唱部は悲しい唄。
イワンのバカは落下してった。
誰もいない市営プール。非常階段にはふたり。
抱きあっても混じる事はない液体。

歌詞の中では、暗く不条理な映画のワンシーンのような、陰鬱な描写が続きます。
“抱き合っても混じる事はない液体” という表現は性的にも猟奇的にも取れる言葉ですが、こういった「肉体」を感じさせる表現はおそらくこの曲が初出です。

どうか僕に武器をください。
駄目なら薬でもかまわない。
間違い探しはもう、おしまい。おしまい。おしまい。

暗がり―――。
閉まったペットショップでハムスターは回り続けてる。
「カラカラ……」
千回、二千回、三千回、何千回?
死んだ。

楽曲を通じて感じられるアナーキーな印象は、歌詞の主体の感情が最初から最後まで全く動いていないからのように思えます。
「理科室」でも書きましたが、『トロイメライ』には「自分以外の誰か」が明確に存在します。これは「ペットショップ」も同様です。ただし、「ペットショップ」における「他者」は理解や愛情を求める対象でも嫌悪し排除すべき対象でもなく、ただそこにあるだけの風景に近いものに感じられます。サビで何度も “何も感じないや、別に。” と繰り返される通り、最後の “千回、二千回、三千回、何千回?/死んだ。” とハムスターが死んだことに対しても、事実が描写されるばかりで「だからこう感じた」とか「だからこうしたかった」といった感情の動きは見られません。

“どうか僕に武器をください。/駄目なら薬でもかまわない。” という言葉も、一見すると攻撃的だと取れますが、これもどこまでも内側に対するものに感じられます。武器も薬も自分のためのものであり、それを以て他者に干渉しようという外部への意志は見られません。
このフレーズは、2004年発売の6thアルバム『cell.』収録「針槐」でも “ピストルが欲しい 毒薬が欲しい” と繰り返されますが、そちらでもピストルや毒薬を用いる対象は自己ではないかという気がします。

トロイメライ』におけるほぼ全ての他者は、ディスコミュニケーションのシンボルであり、干渉すべき対象ではありません。「ペットショップ」の歌詞は、そんな徹底的に内面へと向かう、内に内に硬く籠っていくアルバムの、ある種象徴的な歌詞だと感じます。

6.懺悔は浴室で
  • 作曲:長谷川正
  • 作詞:有村竜太朗

イントロの電子音が印象的な、ダウナーなインダストリアルナンバー。
浴室の反響音のようにエコーする音、暗く淀む排水口のようなノイジーな音、冷たく流れる水のような透明感のある音、とにかくさまざまな質感の音が詰め込まれた1曲。個人的にPlastic Treeの音作りの中でも大好きな、「多様な音が一見無秩序なほど大量に重ねられて、それでも楽曲として平然と成立している」というタイプの曲です。

ミドルテンポのダウナーな楽曲ですが、リズム隊がダンサブルに動き続ける「踊れる暗い曲」。 “残酷なくらい僕を洗ってく。” の部分やアウトロの歌うベースは最高に気持ちいいし、全編を通して金属的なドラムの音も聴いているだけで体が動きそう。
楽器隊全ての音にエフェクトがかけられているのかな、全体的にザラザラ・ギラギラした質感のサウンドが心地いい。普段は浮遊感を感じる有村さんの声も、この曲では淀んで沈むような印象を受けます。
ザクザク刻む無機質なギターリフが続く一方で、軋むような長尺の単音が耳の奥を引っ掻くように鳴っていたりと、音の重なり方が多面的で、何回聴いても飽きません。たまらない酩酊感があって、目を閉じて爆音で聴くたびにトリップ感を味わえます。

比較的乾いた印象の楽曲が多い『トロイメライ』ですが、「懺悔は浴室で」や「ペットショップ」の2曲からは湿度が感じられます。しかし「ペットショップ」のうだるように暑いじっとりとした湿度とは対照的に、「懺悔は浴室で」から感じるのは、ヒンヤリとした水の気配。

「蒼い鳥」→「散リユク僕ラ」→「ペットショップ」→「懺悔は浴室で」の流れは、少しずつ座標がねじ曲がっていくような、悪い嘘のような居心地の悪い気持ちよさがあって、アルバムの中でも特に好きな部分です。

中期以降のPlastic Treeにはシンセサイザーを多用した楽曲も多々ありますが、この頃はまだ珍しいタイプの楽曲だったと言えます。ここまで電子音が派手に使われているのは、2001年『Cut』収録版の「サイコガーデン」くらいではないでしょうか。
これ以降、インダストリアル系のアレンジも一つの手法として確立されていきますが、「懺悔は浴室で」はその走りだったと言えるんじゃないかなーと思っています。

7.赤い靴

可愛らしい印象とは裏腹に複雑な展開がたまらない、一癖ありつつキャッチーなギターロック。

アルバム中唯一の長谷川作詞の楽曲にして、ナカヤマ作曲+長谷川作詞という組み合わせで作られた2つめの楽曲です。1曲目は『Parade』収録の「bloom」。この組み合わせでは、以降「光合成」「輪舞」などのフックがありつつ透明感のある曲が作られていきます。長谷川作曲+ナカヤマ作詞という逆パターンも含めて、個人的にお気に入りの組み合わせ。

中盤の重く息苦しい展開がここで途切れる、『トロイメライ』内の清涼剤のような楽曲です。とはいえBメロや間奏で挟まれるジャジーなアレンジなど、構成が凝っていて簡単には聴き流させません。
基本的にシャリシャリした軽やかな音でギターが鳴っていますが、サビ前はいきなり轟音をかき鳴らしたりと、いろんなところで音の変化を楽しむことができます。 “ピアノ線切れた―――。” のところでエレピの音が入ったりと、さまざまな仕掛けがある立体的な楽曲。『トロイメライ』収録曲の中では、前作『Parade』と一番近しい曲だなと感じています。

演奏が難しいだろうなあというのがしみじみと伝わってくる曲なのですが、それにしたって全然ライブでやってくれない!大好きなので、たまにはライブで聴きたいです……。

8.ガーベラ
  • 作曲:長谷川正
  • 作詞:有村竜太朗

2002/6/26 発売の11stシングル『蒼い鳥』収録のカップリング曲。

シングルver.とは別テイクです。シングル版が軽やかなドラムとキラキラしたシンセサイザーの音が印象的であるのに対して、よりストレートにバンドのグルーヴが感じられるアレンジになっています。

有村さんの儚くて柔らかい声と、正くんの作る美しいメロディが直球で味わえる佳曲。

トロイメライ』収録曲の中では随一のポップさを持つ美メロ曲で、歌ってみると本当に気持ちいいです。例によってギターが好きな曲でもあるのですが、この曲は細かいことをガタガタ言わないで、晴れた日に窓を開けて聴き入るのが一番、なんて思っちゃう。

歌詞で描かれる昼下がりの情景が本当に気持ちよくって、晴れた気持ちのいい日に外で聴きたいな、と思う曲のひとつです。

天気予報は今日もはずれてた。
気付いてた僕はなんとなくアクビのふり。
観察している屋上で、
側に居ない君を風色で描こうとした。
きっと向こうは通り雨に変わった。
空想みたいなマーブルの雲。

名曲が似合う空模様。
眺めてる僕はパノラマの景色の上。
ピンとこないメロディー口ずさむ。
側に居ない君は風色で流れだした。
ずっと世界は止まっていたみたい。
落下しないようじっとしてた。

可愛らしく清涼感のある楽曲ですが、そんな中で “「コレカラ」も嘘で、「ソレカラ」も嘘で、「サヨナラ」だけ本当で。” なんて歌っちゃうのがPlastic Treeだなあ、と思います。

2サビの “風にのって―――。” から大サビにかけての、やわらかくて少し肌寒い風のような音作りは逸品です。

9.千葉市若葉区、6時30分。
  • 作曲:長谷川正
  • 作詞:有村竜太朗

アルバム内で一番攻撃的な曲。
アップテンポでノイジー、ザクザクとしたリズムが焦燥感を煽ります。

この楽曲も、他楽曲で繰り返し述べている「金属的でザラついた」、『トロイメライ』らしい音。アルバム内では「グライダー」や「プラットホーム」と並んでテンポが速い楽曲ですが、爽やかさを感じさせる「グライダー」や透明な疾走感を感じさせる「プラットホーム」と異なり、かなりパンキッシュなイメージがあります。エフェクトをかけられた有村さんの声も、がなるような歌唱と相まって、かなり派手かつ攻撃的に聴こえるのが特徴です。

耳を澄ませば澄ますほど、ガラクタのようにさまざまな音が聴こえる楽曲。
雑多な音が聴こえつつ無機質、ゴチャゴチャしていてうるさいサウンドは、乾いて暗い都市の路地そのままのようで面白い。

この曲は、歌詞の形式も単語を並べ立てる形で特徴的です。
単語が並べられただけなのに、シャッターで切り取ったかのようにパッパッと移り変わる情景が思い浮かぶから不思議。

モノレール
無人
自転車の山
立て看板
雨上がり
傘の先
ターミナル
■の犬
くわえた缶
小さい歯
つくり笑い
ロボトミー
着信音
喋り声
ヘッドホン
ジャニス・イアン

この曲を聴いていると、なんとなく『Hide and Seek』収録「クローゼットチャイルド」の “ホコリだらけの映写機が音をたてて/みんなが好きな同じシーン/くりかえすんだ” という歌詞が思い浮かびます。

「赤い靴」→「ガーベラ」という清涼感のある流れを猥雑な路地の光景で叩き切るこの曲から、アルバムは一気に最終パートへと入っていきます。

個人的にそこまで好きな曲ではなかったのですが、このエントリを書くために久しぶりに聴いてみたら、サウンド的にめっちゃ好みじゃん!となってびっくりしています。
こうやって曲の印象が年月を経ることによって変化するから、Plastic Treeのファンはやめられないんですよ……。

10.プラットホーム

2001/11/14 発売の10thシングル『散リユク僕ラ』収録のカップリング曲。大好きな曲です。

この曲もシングル収録版とは別テイクで、アレンジが大幅に変わっています。アルバム版はCOALTAR OF THE DEEPERSNARASAKIさんがプロデュース&ギターで入っており、2002年2月発売のディーパーズのアルバム『newave』とかなり近いアレンジになっています。インタビューでのナカヤマさんいわく、「ダビングはほとんどNARASAKIさん」とのこと。

「散リユク僕ラ」同様、シングル版の方が泥っぽくも率直な音作りであるのに対して、こちらは硬質で透明感のあるサウンド。クリーントーンのギターが何本も何本も重ねられており、右と左の絡みを聴いているだけで楽しいです。
キラキラした人工的な光に似た透明感は『トロイメライ』随一である一方、サビの「行って」ループ時や大サビ前の思い切りのいい音の消し方などの構成が秀逸。潔く音を消してしまっても、最初から最後まで疾走感が一度たりとも消えることのない造りになっています。

水色の冷たいプラットホーム。
速やかに僕は潜り込んで。
何もかも僕は忘れてく。
地下鉄は闇のなか、進んで―――。

離れてく僕の後ろには悲しみが小さくなっていく。
どこまでも行ける地下鉄は、
銀色の光、そのもので―――。

サウンドから浮かび上がる情景は、まさしく歌詞通りの「水色の冷たいプラットホーム」であり、「どこまでも行ける銀色の光」。サビで聴こえる地下鉄の強い風のようなギターを聴くと、目の前に傷一つない銀色の車両が滑り込んでくる情景が目に浮かぶようです。
わたしは『トロイメライ』というアルバムに「冷たく光る銀と透き通る青」というイメージを持っていますが、それには「プラットホーム」の音と歌詞がかなり大きいんじゃないかな。

泥っぽくどこか痛いシングルver.も大好きですが、『トロイメライ』というアルバムにぴったりハマるのは、やはり透明感の際立つアルバム版。冷たい銀色の光に意識を連れ去られるような、どこか夜を感じさせる音が大好きです。この曲を聴くと、なんとなく銀河鉄道を思い浮かべてしまいます。

11.Hello

アコースティックギターの繊細な音色が印象的な、ミディアム・バラード。
この曲と次の「雨ニ唄エバ」では、『Puppet Show』と同じく西脇辰弥さんがプロデューサーとして参加しています。とはいえ、中山さん曰く「Helloのアレンジはほとんど竜太朗」とのこと。

アッパーだったりフックがあったりする曲を作る印象の強い中山さんの曲の中では、かなり珍しいタイプの曲です。彼の繊細で柔らかい部分が顕著に出た楽曲だと感じています。『Parade』のときに作ってお蔵入りになっていたものを出してきた、とのこと。

「プラットホーム」→「Hello」の流れからは、銀色の光がゆっくりと月に停車するような情景が浮かびます。

全体的にどのパートも派手な動きはなく、丁寧に歌に寄り添う構造。
歌詞も他楽曲と比べてやわらかく、やさしい印象を受けます。

覚めた夢 たどれば やさしい歌できてた
ゆるやかに聞こえてくる
眠い目をこすったら 確かな今日になるから
何故かすぐ忘れてしまいそうで
君の名前を呼んだ 君の名前を呼んだ
呼んだんだ

アルバムタイトルである『トロイメライ』という言葉は、ドイツ語で「夢想」や「夢心地」といった意味を持っています。シューマンピアノ曲子供の情景」第7曲「トロイメライ(夢)」が非常に有名で、わたしも最初にアルバムタイトルを見たときはあの曲を思い出しました。
シューマンの「子供の情景」は、子供がいるさまざまな情景を短編映画集のように描写する楽曲たちです。夢のように移り変わる情景が心地よく、派手さはないものの美しい、シューマンらしい楽曲たち。

わたしは「Hello」の歌詞を読むと、なんだかシューマンの「トロイメライ」を、ひいては「子供の情景」全体のことを思い浮かべてしまいます。“覚めた夢 たどれば やさしい歌できてた” というフレーズが、M-1~M-10までのアルバム収録曲ひとつひとつを「夢」として包み込んでいくように感じられるから。

アルバムタイトルとして「夢」を冠されているこのアルバムですが、各楽曲の歌詞における「夢」という単語の出現頻度は意外と低く、「Hello」以外では以下の3つのみです。

・変な夢、見ては自嘲気味。/笑う、笑う、笑う。(グライダー)
・気まぐれな白昼夢。/覚めるのも早いから、また後で手紙を書くよ。(赤い靴)
・壊れてく白日にきれいな夢を見ていた。(ガーベラ)

でも「Hello」を聴いていると、M-2「グライダー」からM-10「プラットホーム」の各楽曲がそれぞれが独立した ”夢” であり、『トロイメライ』というアルバムは夢の集合体であるかのように聴こえてくるんです。バンド側が『トロイメライ』というタイトルをつけたのは制作終盤だったみたいですし、そんなことを意図して作ってはいないと思いますから、単なる個人的な受け止め方に過ぎないんですけどね。
でも、M-2「グライダー」から始まった “変な夢” が、M-10「プラットホーム」で “<幻想行き>”地下鉄に乗って、月に停車するところで夢から覚める、というストーリーが個人的にはしっくりきて。未だに勝手にそう思っています。

アルバム〆の曲でもおかしくない、綺麗で優しい楽曲ですが、最後の最後に「雨ニ唄エバ」をたたみかけてくるところが『トロイメライ』の魅力の神髄だと感じています。

12.雨ニ唄エバ
  • 作曲:長谷川正
  • 作詞:有村竜太朗

ノイジーなのに透明感のある、抒情的でダイナミックなミディアム・バラード。

ロックバンドのアルバムでバラードを2曲連続で配置するなんて珍しいし、下手をすればアルバムの流れを崩しかねない構成だと思うのですが、『トロイメライ』はこの曲順じゃなくちゃダメだと聴くたびに思う美しい構成です。

「Hello」は繊細で優しい子守歌のような曲だったのに対し、「雨ニ唄エバ」はイントロから重苦しいベースが鳴り響く、どこか不穏な幕開け。Aメロにも陰鬱な閉塞感があり、傘の内側の暗い視界のように篭っています。でも、それがBメロで少しずつ緩み始め、サビになると一気に視界が開けます。

「Hello」のところで「グライダーからプラットホームまでは夢の世界、Helloで目が覚めるようだ」と書きましたが、この感覚からすると、M-1「理科室」とM-12「雨ニ唄エバ」だけは現実の世界のように思えます。
自分を燃やすための火を渇望する1曲目から、さまざまな夢を経て、最後に視界を塗りつぶすような雨が降り注ぐ。絶え間なく降り注ぐ雨が希望の表現のように感じられて、本当に大好きです。

暗く灰色がかった狭い視界が、透明な驟雨の世界となって、最後は白い光が射す。音を聴いているだけでそんな情景が視界いっぱいに広がっていく、映像的な楽曲。
音源も美しいのですが、この曲はライブでの演奏が最高。楽曲内の起伏が「散リユク僕ラ」や「プラットホーム」などのようにパッキリした感じではなく、大きくうねる波のようで、最後の最後に緩やかにしかし強く上昇していく感覚に凄まじいカタルシスを感じます。ギターに関しては、もう、聴いてとしか言えない。聴いて。

ライブで演奏されるときは、有村さんが黒い傘をさして歌う姿が印象的です。
「雨ニ唄エバ」のアウトロの歌声は、ただただ歌詞のとおり ”咲いて広がっていく” ようで、透き通って綺麗。堰を切ったように轟音を奏でる楽器陣の中で、消えそうなのに消えないで広がっていく不思議なあの声が、わたしは本当に大好きです。

アルバムについて

Takashiの脱退とササブチの加入、ワーナーミュージックとの契約終了、そして竜太朗のポリープ手術と、バンドにとって大きな出来事が重なった時期に制作されたアルバムです。

ワーナーとの契約終了後、すぐに次のレコード会社は決まらず、Plastic Treeは一時的にインディーズに戻っています。悪い言い方をすれば、いわゆるインディ落ちですね。まだまだCDが売れていた時代のアルバムなので、流通がインディーズに落ちるということは、2017年現在よりも遥かに重い出来事だったと思います。

しかし、「忘却モノローグ」の中山さんの言葉を借りるのであれば、「逆境に立たされたときのこのバンドは本当に強い」。メンバーの交代やコンポーザーの増加といった大きな変化を見せつつ、極めて完成度の高い盤を創り上げています。
セールス的にはあまり好感触は得られなかったようですが、現在でもファンからの評価が高い1枚ですし、発売当時の業界での評判も良かったようです。

冒頭にも書きましたが、このアルバムが作った音楽的な基盤がなければ、わたしはたぶん今ごろPlastic Treeを聴き続けてはいなかったんじゃないかな。正くんだけが曲を作って、竜太朗さんだけが歌詞を書いて、ワーナーミュージック時代のサウンドのみに終始していたのであれば、きっと今はもう聴いていない。10年以上ずっと好きで、しかも惰性でじゃなくってずっと新鮮な気持ちで、新譜はもちろん旧譜も日々新しい発見に喜びつつ聴き続けていられるのは、『トロイメライ』があったからだと感じています。
大好き。

 

また、このアルバムはアートワークも美しいです。

初回盤は特殊パッケージになっていて、ピカピカ光る銀色に、黒い情景がプリントされたもの。彩度が低く、金属的で、硬質で透明で静かな情景。開いてみれば銀色に光る円盤と、透き通るように病的な青が広がっています。

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f:id:haru1207:20170206210531j:plainアルバムのサウンドや歌詞の世界とピッタリはまる、Plastic Treeの作品の中でも特に気に入っているアートワークです。

全体的に、「V系は苦手」という人でも聴きやすいアルバムだと思います。現在は廃盤であり入手困難、高額売買も行われているアルバムですが、Amazonをこまめにチェックすれば適正価格で売られていることもあります。ブックオフとかも狙い目なので、興味を持った方はぜひ探してみてください。

とりあえずYouTubeの全曲動画を貼っておきます。音質がアレなので、好きな人はどうにかしてCDを買ってください。

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