後藤まりこ|「私のRe:booooot ワンマンツアー」@赤坂BLITZ
2015/01/23 fri
後藤まりこ「私のRe:booooot ワンマンツアー」
赤坂BLITZ
open 18:00 start 19:00
¥3,780
セットリスト
- 触媒
- 関東ローム層
- れっつきるみ
- ドローン/シンデレラタイム
- 4がつ6日
- sound of me
- Re:なくす
- Hey musicさん!
- すばらしい世界。
- 好き、殺したい、愛してる
- 正しい夜の過ごし方
- スナメリ
EN
- ゆうびんやさん
- うーちゃん
- あたしの衝動
- I/O
基本プラツリブログだと思っているのでこのブログに他アーティストはあんまし書かないんですが、今回はちょっと残しておきます。
ライブ感想
仕事が長引いたので遅刻。
溜池山王から走ってブリッツに向かってフロアに飛び込んだられっつきるみの途中。えっなんかポンポン持って踊ってるんですけど超可愛い!
きるみ終わってから全部の楽器がぐちゃぐちゃに鳴り始めて「わーいこんな前半戦でドローンだ!」と喜んでいたら、後藤さんはムーンライトムーンライトと歌い出して「?」となる。そしたらそのままシンデレラタイムへ。アレンジはかなりドローンに寄ったものになっていて、一部はコードも変わっていたり。絶叫のような「ベイビーベイビー」はいいね。途中からドローンに変わって、二曲が混ざり合いながら「ドローンの海を照らしてみたい」で終わり。本来の歌詞は「ドローンの海で溺れてみたい」なんだけど、シンデレラタイムと混ざったから照らしてみたいになったんだね。ドローンは個人的に思い入れのある曲なので(毎回ライブでの演奏が素晴らしいし、歌詞も好き)最後に照らす、なんてポジティヴな言葉が添えられたことにグッときてしまった。2014年11月に発売された3rdアルバム「壊れた箱にりなっくす」はこれまでの2枚と比べてぐっと聴きやすいアルバムで、相変わらずガチャガチャいろんな音が分かりづらく鳴りまくっているのだけれど、一曲一曲のパッケージングが丁寧でポップだった。なんというか、開かれた印象を受けたアルバムでした。だからこれから、前向きに走り出すようなイメージを現在のまりこに対して持っていたので、よけいに「照らしてみたい」を良いなと思ったのかな。
印象に残っているのはRe;なくす。最初はギターと歌の弾き語り、その後にバンドで、そして最後はアカペラで、同じ曲を3回も歌った。でもそれが全然退屈なんかじゃなくって、とてもよかった。それぞれの形態でそれぞれの形態でしかできないことをしていて、めっちゃ面白かった。特に最後のアカペラが。ファルセットの歌声、ふつうの歌声、低い喋り声、の三つをぐちゃぐちゃに使い分けて歌ったのがほんとよかった。ファルセットで歌う「つづくつづく続くの」という歌詞が、最後の「続くの」だけが地声の「終わるよ」だったり。「ふぁっきんso much」だけが吐き出すようなウィスパーだったり。
好き殺したいは弾き語りだった。個人的にCDに入っているアレンジより弾き語りの方がすきなので、嬉しかった。歌い切ったあとのMCで、突き落とされたけど。
「名古屋で話したことをもっかい言います!ズバッと殺すやろ、こうやってズバッ、(言いながらバンドメンバーを切る真似してる。メンバーはちゃんとグワーってやられるリアクション。意味わからんくてめっちゃ可愛い)ズバッて。そんで切れたとこからいろいろ出てくるやろ。キラキラとか、うさぎとか、そういうもんがいっぱい出てくる。だからそれでいいんよ」
「(わかるよ!という女性客の声に)わかってくれてありがとう!めっちゃ嬉しい!ほんとうにありがとう、今までありがとうございました。5年前にミドリやめてソロで始めて。後藤まりこはバンド形式の活動を今日で終了します。今後の決まっているライブはキャンセルします」
ほんとなんの前触れもなかったからフロア一気に静まり返った。え、ていうなんかもう地を這うような声、があちこちから聞こえたきり、無音、無言。
「ありがとう。寂しくなったら名前を呼んで。手を伸ばしてくれたら僕はいつでもそこにいます。ミドリの時も言ったな、これは僕の投身自殺です。巻き込んでごめん」
正しい夜の過ごし方、スナメリ。呆然としていたのでよくわからない、後ろにいたのでボーっとして突っ立ったまま聴いてた。演奏がよかったことは覚えてる。でもそれ以上に、スナメリの「たすけて 僕を死なせて」という歌詞が頭にこびりついて離れなかった。
正しい夜の過ごし方の「聴こえる?私なんて」のところ、何回も何回も繰り返されて彼女いろんなことを言っていたと思うのだけれど、全然覚えていない。
アンコールの手拍子が途中からまりこコールに変わる。コールの途中でバンドメンバーが出てきて、でもコールは止まなくて。その中でまりこ不在のまま演奏が始まって、ってこれはゆうびんやさんじゃないですかあ…こんなシリアスな場面でこんな可愛い曲やるなよお…大好きだから嬉しいけど!
続けてうーちゃん。これも大好きだからいつもだったら嬉しいはずなのに微動だにせずに突っ立って聴いてた。べつに怒ってるとかつまらないとかではなくとにかくよくわかんなくてボーッとしてた。
あたしの衝動のイントロを聴いてようやく、「もしかしたら本当に終わりなのかもしれん」と思った。
I/Oはイントロのフレーズをギターで繰り返し弾きながら、一言一言、断片みたいにいろんな言葉を喋っていた。
愛してるよ、愛してるよ、愛してるよ、後藤まりこを殺すのは誰?あなたのインプットアウトプットI/Oになりたい、愛してるよ、後藤まりこを殺すのはだれ?おまえやろ。愛してるよ、言いたいことはたくさんある、きょうなんも言わんでぬるっと続けてそんなんでいいんやろか、そんときは死んでしまうかもしれない、後藤まりこを殺すのは誰?僕が僕を殺す日がくるのかもしれない、愛してるよ、愛してくれてありがとう、僕なんか、僕なんかでも誰かを愛せるし、誰かのために生きるとか言えるし、愛してるよ、ありがとう
I/Oは演奏ぐちゃぐちゃだった。
次にもっといいもん聴かせてよ。待ってるから。ほんとずっと待ってるから。
まりこソロは盤よりライブが好きで、初期の衝動そのままみたいな荒っぽくて楽しい演奏もよかったんだけど、この日はそれまでよりもぐっと大人っぽいまとまった演奏になっていて、とてもよかった。前述のアルバムの印象もあって、今年のまりこはいいな、プラ減らすからそのぶん他増やそうと思ってたけど、まりこも増やそ、できるだけ行こ、なんて思っていたところだったので、いきなりの投身自殺宣言には脳天ぶち抜かれたみたいになりました。
「べつに無理心中しに来たわけやないこれは僕の投身自殺や、見といてほしい」というのはミドリ解散ライブ時の後藤まりこの言葉で、今回の言葉はそれを踏襲したものになってる。いま思えば重なることがいろいろあった。当たり前みたいに赤いギターでノイズ音かき鳴らすのも、ぶっきらぼうに怒鳴るように言われる「ありがとう」も、アンコールでソロ初期に着ていたワンピースに着替えて出てきたことも。
ミドリが解散したとき、わたしは正直そこまでショックではなかった。だってミドリはどう考えてもぶち壊れるために鳴っているような音楽だったから。ひたすら死に向かってぶち進んでいく音楽で、だから本当に死んでしまっても、そこにあったのは悲しいというよりは完成したという感覚だった。
でもまりこのソロにはそんなこと思ってなかったよ。幸せに楽しく音楽をやってほしいと思ってた。それを一緒に楽しみたいと思ってた。いまでも感情がまとまっていません。投身自殺に立ち会えたことはよかったんだろうか、でも見たくなかった、でも見られないままあとで知ったとしたら、だったら立ち会えてよかった、でも。