NO MUSIC FIGHTER

音楽の話と音楽じゃない話をしようよ

柴崎友香×勝井祐二|「ビリジアン」@三軒茶屋nicolas

朗読とヴァイオリンのセッション。どちらも自分にとって大切なものだったから、それが組み合わさった奇跡的な空間は本当に得難く素晴らしいものでした。まだきちんと言語化できないくらい消化しきれていないけれど、本当に行けてよかった。あの場にいられてよかったです。

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2017/01/29 sun
柴崎友香×勝井祐二
「ビリジアン」
at nicolas
open 18:00 start 18:30
¥3,900(前菜・パスタ・デザート・ワンドリンク付き)

朗読作品(順不同)

  • 黄色の日
  • ピーターとジャニス
  • 火花
  • ピンク
  • 宇宙の日

ライブの感想 

小説家の柴崎友香さんとROVOの勝井裕二さんによる、朗読とヴァイオリンのセッション。
字面だけ追うと「なんでそんなセッションを?」という印象を受けてしまいそうですが、この組み合わせは、両者が好きならごく自然に感じられる組み合わせ。だって柴崎さんは過去に小説「主題歌」と「宇宙の日」で、ROVOのライブを描写しています。「主題歌」は作中の1シーンとして描かれるだけですが、「宇宙の日」はROVOのライブ自体が作品の主題。

わたしが初めて柴崎さんの作品を読んだのは、友人が絶賛していた「主題歌」。そしてそこでROVOのことも知りました。
作中で主人公の友人がROVOは宇宙に行けるなあ” と呟くシーンがあって、そのときはそのバンドが実在することを知らなかったのだけれど、描写された空間の自由さや酩酊感、遊泳する感覚みたいなものが強く印象に残っていました。その後Twitterかどこか、とにかくインターネットの海のどこかで「あれは実在するバンドだ」ということを知って、ROVO毎年恒例の野音に足を運んで。そこで「主題歌」で描かれていたあの空間は、あのすり抜けて立ち上っていく泡のような音楽は、本当にここにあるんだと感動した覚えがあります。

それ以降は毎年野音に足を運びつつ、ときどき小さめの箱で見たり、勝井さんのセッションを観に行ったりと、ごく普通に好きな音楽としてROVOの音楽に触れていました。2015年に行われたイベントSoundohbでは、かつてスーパーカーとレーベルメイトだったんだよということを知ったりして、もともと好きな音楽と近しい位置にいた人たちなんだなと感じつつ、ROVOは時間をかけて「知らない新しい好きな音楽」から「自分の中にあるごく自然な音楽」へと変わっていきました。それと同じように、柴崎さんも「好きな友人が好きな作家」から「自分が好きな作家」に変わっていって、新刊を必ずチェックする作家のひとりになりました。

という経緯があったので、今回のイベントは本当に嬉しかった。
セッティングしてくれたイベンターさんには心からお礼を述べたいです。本当にありがとうございました。

会場となったのは、三軒茶屋にある小さなカフェ「nicolas」。
お店の公式サイトを見ると、基本的にはパティスリーなのかな?でも、食事もできるし、お酒も飲めるみたいです。三茶の駅近く、建物の2Fにあります。
この日はワンドリンクと前菜とパスタ、ミニデザートも付いていて。ドリンクと前菜はライブの前に、パスタは途中の休憩中に出されました。

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デザートはいつ出たんだっけ、忘れてしまったけれど、どれもとてもおいしかったし、きれいだった。 

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とくにパスタは、写真の通りビリジアン、緑色で。春菊のジェノベーゼ、やわらかい苦味がおいしかった。そして緑色の上にはちっちゃなトマトがたくさん乗っていて、鮮やかな色彩がとても綺麗、店員さんいわく「宇宙っぽさを意識して」とのことでした。

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おいしかったのはもちろんだけれど、作品とイベントに対して真摯に心を配ってくださる姿勢が心地よかったです。イベントじゃない日にも、また行きたいな。夜にゆっくりしたい。店内の本棚もかなり好みだった。

当日、開演間際に行ったら、空いていたのは窓際の演奏する場所のすぐ近くの席だけ。
演者を後ろから眺める位置でしたが、窓の外の情景や人の声がパフォーマンスと混ざり合って、ふしぎな非日常感があるとてもよい席でした。

感想を書きたいなと思っていたのだけれど、どうにもうまくまとめられないんだよなあ。
初めて聴いた柴崎さんの朗読はとてもフラットで、口語体の文体も相まって、喫茶店で隣のテーブルにいる人たちの会話が耳に入ってくるような感じだった。ごく普通の生活の地続きのような、でも確実に、普段観測している自分だけの世界とは異なるレイヤーの。そこに何度も何度もいろんなフレーズをループさせて重ねていく “宇宙っぽい” 勝井さんのヴァイオリンが重なって、朗読や音楽を聴いているというよりは、情景や記憶を見ているような気持ちになった。なんだろう、親しくはないけど顔見知り程度の知人の、手作りのロードムービーを見ているような感覚。特別ノスタルジックだったりドラマチックだったりするわけではない、日常に近い、でも「わたしの日常」そのものからはオブラート一枚の薄さででも確実に隔たっているような、そんな感じ。

この日の感想をうまくまとめるには、「主題歌」「宇宙の日」「ビリジアン」に対する自分の感想を言語化できないと無理だと思っていて。それをなんとかまとめたくってダラダラと感想を書けないままでいたのだけれど、書けると確信するまで待っていたら永遠に書けないな!と思ったのでとりあえずアップしておきます。わたしにしか伝わらないような感想だけれど、このブログは基本的にわたしのためのアーカイブだからいいんだ。わたしのための外付けの記憶なので。いつかもうちょっと感想がまとまったら、追記できたらいいんだけど。

「ビリジアン」は10代の記憶が断片的に綴られる作品で、でも、特別苦しいとか辛いとか悲しいとか、そういった感情が明確に描写されることはないです。思春期の苦しさとか切なさとか、そういう安っぽい(という言い方も微妙だけど)ステレオタイプの様式に過去を押し込めて描写するものではなくて、でも、なんだかザワザワするような小説。道を歩いていてなんとなく呼吸が少しだけ苦しくなるような、人と話していてこめかみがチリチリと痛みの手前くらいの感覚でざわめくような、そんな気配の作品。作中で触れられる “善く生きる” という言葉について、わたしは未だにうまく言い表せないぼんやりとした絶望や曖昧な恐怖を持っているのだけれど、そのぼんやりとした絶望や曖昧な恐怖を引き延ばして手渡されているような気持ちになる。自分でもなにを言っているのかよくわからない、抽象的で曖昧な感情なのだけれど、勝井さんの音がそこに乗ることで、その感情や記憶が情景として目の前に広がるような気がした。
柴崎さんの小説は、自分の中にあるなんらかの感情なり思考なりを、すでに名前がつけられているなにかに当てはめて分類するのではなく、その「なんらかの感情なり思考なり」そのものと向き合ってそれ自体を咀嚼しようとするから、自分が「ちょっと違うけど世間的にはこう理解されているからたぶんこう解釈していいんだろう」と怠惰に既存の枠組みに預けてしまっていた思考を「本当にそうなの」と問い直されているような、そんな気分になるからいつもすこしこわい。でもそのこわさは決して他者を脅かすようなこわさではなくて、ただ透徹とした、自己の内部を見つめる視線だから、問われているような気持ちになるのも所詮自己の内部の反射にすぎないのだとも思う。

うーん、まとまっていないことをダラダラ書くと電波ぽくなるからとりあえずやめよう……。

この日はパフォーマンス以外にも勝井さんと柴崎さんのトークが聴けて、お二人が初めて会ったときの話とか、勝井さんが小説「宇宙の日」を知ったときの話とかが聞けて楽しかった。
最後には柴崎さんからサインをいただける時間があったので、作者本人と話すのが苦手なわたしにしては珍しく、その場で買った「ビリジアン」の文庫本にサインをいただきました。本当はそこに勝井さんのサインもいただきたかったけれど、エフェクターを片付けている勝井さんに声をかける勇気はなかった……。というか、サインをもらえるなら「主題歌」の文庫本を持って行けばよかったなあ。

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とにかく、強く心に残るイベントでした。行ってよかった。
イベンターさん、本当に本当に、この企画を立ててくれてありがとうございました。